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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)450号 判決 1959年10月21日

控訴人(原告) 佐藤武

被控訴人(被告) 茨城県知事

原審 水戸地方昭和三一年(行)第一六号

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が別紙目録記載の土地につき、売渡の相手方を塙豊実、売渡期日を昭和二十二年七月十四日としてなした売渡処分は無効であることを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。(証拠省略)

理由

別紙目録記載の本件土地はもと訴外小野崎ひさの所有であつたが、昭和二十二年六月二十四日財産税の物納により政府がその所有権を取得したものであるところ、旧日高村農地委員会(同村はその後日立市に合併)は、昭和二十三年五月十二日自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第十六条同法施行令第十八条に基き、右土地つき売渡の相手方を塙豊実と定め、売渡期日を昭和二十二年七月十四日として売渡計画を樹立公告したこと、そして右売渡計画につき茨城県農地委員会の承認を経たので、被控訴人茨城県知事は昭和二十三年七月二日付を以て売渡通知書を発行し、その頃これを売渡の相手方たる塙豊実に交付して売渡処分を了したことは凡て当事者間に争がない(以上の経緯によれば本件土地は財産税の物納後自創法施行令第十二条第一項の規定に基き、当該農地委員会において自作農創設の目的に供すべきものと決定した農地であること自ら明かである)。

ところで、成立に争のない甲第一号証第四号証、原審における証人石川晨、樫村正、田所竜男、根本正行の各証言(但し次の認定に牴触する部分を除く)原審並に当審における証人小野崎静の証言、控訴本人尋問の結果を綜合すれば、本件土地はもと訴外内田喜代治が所有者小野崎ひさから賃借して耕作していたが、昭和十四年頃耕作を止め、その後訴外小沢正己及び日高尋常高等小学校の生徒等が相次いで一時本件土地を耕作したけれども、昭和十七年頃から耕作者なく荒地のままに放置されていたこと、控訴人は肩書地に居住し、田畑合計一町歩余を耕作して主として農業を営み、昭和十七年頃よりかたわら家畜商の仕事にも従事し、また農閑期等にはその所有する馬車で多少の運賃稼をしていたけれども、平素主業たる農業に精進していた者であるところ、昭和十七年頃か同十九年頃前記ひさの夫でその財産を管理していた訴外小野崎静より本件土地を耕作することの許諾を受け、爾来控訴人において引終きこれを耕作し、その関係は昭和十九年三月七日小野崎ひさが死亡して夫静が遺産相続をした後も変るところがなかつたこと、小作料は一ケ年玄米二俵の約で、控訴人は約定通り支払つたこともあつたが、多くは滞り勝であつたこと、そして控訴人は昭和二十二年二月日高村農地委員会に対して控訴人が本件土地を小作している旨の旧農地調整法第十七条による申告書(いわゆる一筆調査に基く農地調査票)を提出し、且つ本件土地に対応する食糧供出割当を受けて、その供出を行つて来たこと(尤も右申告書には土地所有者名を誤つて「滑川ケン」と記載してあるけれども、それが誤記であることは、本件売渡計画樹立当時既に同村農地委員会においてこれを承知していた)、を認めることができる。原審証人樫村正、塙豊実、樫村翠、根本正行の各証言中、以上の認定に牴触する部分は措信し得ない。また乙第四号証は小野崎静が樫村翠等に小作料の取立を依頼するため渡した書面であることが、当審証人小野崎静の証言によつて認められるので、同号証によつては控訴人と小野崎との間に小作料支払に関する約定が存しなかつたものということはできない。

して見れば、控訴人は昭和十七年若しくは同十九年頃より本件土地が財産税の物納により政府の所有となつた昭和二十二年六月まで従前の地主との間の適法な小作契約に基き(仮りに原判示の如く小作米支払の約束がなかつたとしても、少くも使用貸借により)、本件土地を耕作し、その後も引続きこれを耕作し且つ農業に精進していた者であるから、自創法施行令第十七条第一項第三号により控訴人本件土地につき第一次的に売渡の相手方となるべく、同条による売渡の相手方が存する限り、同令第十八条の規定によつて他に売渡の相手方を求める余地はない訳である。そして控訴人が昭和二十三年四月一日付書面を以てその頃日高村農地委員会に対し本件土地の買受申込をしたことは、当事者間に争がないので、同村農地委員会としては本件土地の売渡計画を樹てるに当り須く控訴人をその売渡の相手方と定むべきであつたに拘らず、敢て控訴人を差し置いて本件土地の耕作者でない訴外塙豊実を売渡の相手方とし、被控訴人茨城県知事が右売渡計画に基き、右塙に本件土地を売渡したのは、法規の定める要件に違背し、甚しき違法の処分といわなければならない。

被控訴人は、本件売渡計画樹立当時の耕作権者が控訴人であつたとしても、それは外見上容易に判明し難い状況にあつたので、控訴人を除外して塙豊実を売渡の相手方と定めた処分には、明白なる瑕疵ありということはできない旨主張する。

(一)、しかし、本件売渡計画樹立当時、既に控訴人より村農地委員会に対し農地調整法に基く耕作届(農地調査票)が提出されていたのみならず、控訴人は本件土地に対する食糧供出の割当を受けてその供出義務を遂行していたこと、前認定のとおりであつて、従つて村農地委員会当局においては控訴人が本件土地を現実に耕作している事実を充分に諒知していたものである。

(二)、従つて、村農地委員会としては、買受申込をした控訴人が地主の承諾を得ずに耕作していた無権限の耕作者で、自創法施行令第十七条所定の買受資格なき者として他に売渡の相手方を定めようとするに当つては、相当の注意を払い、常識上妥当とされる方法を用いて事実の調査をすべきことは当然であつて、かかる調査をしてもなお判明し難い事情が伏在していたため遂にその認定を誤つたというのであれば格別、簡単な調査によつても容易に事実が判明すべきであるのに、その調査をしなかつたため若しくは調査が極めて粗漏であつたため、事実関係を誤認して違法な売渡計画を樹てたとすれば、その計画は明白なる瑕疵を帯びるものという外はない。そして本件においては村農地委員会において従前の地主(小野崎静)及び耕作者(控訴人)の双方につき耕作事情を照会するとか、必要とあれば隣接地耕作者に問い合せるとかの方法をとりさへすれば控訴人が権限に基き本件土地を耕作するものであることが直ちに判明したであろうと思われる。

(三)、しかるところ、村農地委員会においては専任書記たる根本正行が小作関係調査のため日立市滑川の元地主小野崎方に赴き、本件土地の小作人が誰であるかを確めたのであるが、主人小野崎静は他出不在中で事情にうとい同居の婦人が応対し、小作台帳を取出し帳簿によつて答えるといいながら「小作台帳の記載によれば内田喜代治に貸したことになつているが現在は実際に誰が耕作しているか判らない。また控訴人が農地委員会に対し、本件土地を小作している旨申告しているとしても、そのようなことは判らない。」と返事したので、それ以上の調査をせず、控訴人に適法な耕作権なきものと断定し、これに基き本件売渡計画を樹てるに至つたことが、原審証人根本正行の証言によつて認められる。しかし右の応答によつても明かなとおり、その婦人は耕作関係の実態を詳知せず、単に小作台帳の記載のみによつて述べているのであつて、ひつ竟その者としては控訴人が正当に耕作しているか否か実際には不明であるというに帰するのみならず、元来このような調査は現にその土地を管理する同家の主人に就いて事情を聞合せるのが常識上当然であつて(農村では家族所有名義の土地も夫若しくは世帯主が管理するので通常であろう)、主人不在とあれば改めて書面を以て回答を求めてもよい筈である。しかるに村農地委員会においては右の程度で調査を打切り、買受申込をした控訴人を招致して耕作事情を聴取することすらせず、たやすく控訴人の耕作権限ひいてその買受資格を否定し去り、本件土地と何等の関係がない訴外塙豊実を売渡の相手方と定めてしまつたのである。(尤も前記根本証人の証言によれば、同人は応対に出た婦人がどのような人であるかを尋ねず、漫然元の地主小野崎ひさ―ひさは昭和十九年中死亡し、夫静が遺産相続をしている―であると思い込んだというのであるが、仮りにそうであつたとしても、そのこと自体が粗忽であるばかりでなくその者の返答があいまいである以上、かかる重要な調査に当るものとしては事情を詳知している筈の一家の主人に就いて実情を聞くべきが当然であると思われる。)

以上の諸点によつて見れば、村農地委員会が控訴人の本件土地買受の資格を調査するに当り、若しも通常適当と思われる手段方法を取つたとすれば、さして費用と手数を要せずに控訴人が適法な耕作権者であることが容易に判明し得た筈であるのに、中途半端な程度で調査を打切り、必ずしも控訴人を耕作権限なき者と断定するに足りない不処分の資料に基いて軽々にこれを否定したのであるから、その措置は極めて杜撰粗漏であるとのそしりを免れない。されば本件売渡計画は売渡の要件を定めた法規に違背し、且つその瑕疵は重大にして明白である故、当然に無効であるという外なく、被控訴人の前記主張は理由がない。

被控訴人は更に控訴人において本件土地が塙豊実に売渡されることを承認し、自己の買受申込を撤回したと主張するけれども、かかる事実を認むべき的確の資料はなく、原審並に当審における控訴本人尋問の結果によるもその然らざることが明らかであるから、右の主張も採用の限りでない。

以上説明のとおり、日高村農地委員会が本件土地の買受申込をした現実の耕作者で且つ耕作の権限を有していた控訴人を排除して訴外塙豊実を売渡の相手方としてなした売渡計画は当然無効というべきであるから、かかる無効の計画に基き被控訴人知事がなした売渡処分も亦従つてその前提要件を缺き当然に無効であるといわなければならない。そして原審証人塙豊実、樫村翠の各証言によると、控訴人は右売渡処分後も現在に至るまで引続き本件土地を耕作していることが明らかであつて、右売渡処分が無効とされるときは農地法の規定に基きこれが売渡を受ける資格を有するものであるから、その無効確認を求める法律上の利益を有すべく、それ故本訴請求はこれを認容すべき筋合のところ、原審が以上と所見を異にし、右請求を排斥したのは失当であつて、原判決は到底取消を免れない。

よつて控訴を理由ありとし、民事訴訟法第八十九条第九十五条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 二宮節二郎 奥野利一 大沢博)

(別紙目録省略)

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

原告訴訟代理人は、「被告が別紙目録記載の土地につき、売渡の相手方を塙豊実、売渡期日を昭和二十二年七月十四日としてなした売渡処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

一、原告の請求の原因

(一) 別紙目録記載の土地(以下本件土地と称する)はもと訴外小野崎ひさの所有であつたが、昭和二十二年六月二十四日財産税の物納により政府がその所有権を取得したものであるところ、旧日高村農地委員会(現在は日立市農業委員会、以下「村農委」と略称する)は昭和二十三年五月十二日旧自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)第十六条同法施行令第十八条に基き本件土地につき、売渡の相手方を塙豊実と定め売渡期日を昭和二十二年七月十四日として売渡計画を樹立公告した。そして右売渡計画はその後茨城県農地委員会の承認を得たので、被告知事は昭和二十三年七月二日附をもつて売渡通知書を発行し、その頃該通知書を売渡の相手方である右塙豊実に交付して売渡処分を了した。

(二) しかしながら右の売渡処分は、次の理由により重大且つ明白な瑕疵を帯びた無効の行政処分である。

即ち本件土地は、もと所有者小野崎ひさより訴外内田喜代治が賃借し同訴外人において昭和十二年頃まで耕作していたが、耕作をやめたので昭和十三年度は日高尋常小学校の生徒が耕作した。そして翌昭和十四年度は耕作者なく荒地の儘で放置されていたところ、原告が昭和十五年一月末頃右小野崎から期間の定めなく賃借し、爾来現在に至るまで引き続き耕作して来たものであり、昭和二十三年までは右小野崎に対しその小作料として毎年玄米二俵ずつを支払つて来た。そして原告は右賃借後本件土地を原告の耕作反別に加えて村農委に届け出でその統制に服し供出も行つて来た。従つて本件土地については原告こそ自創法施行令第十七条第一項第三号により第一順位の売渡の相手方となるべきものである。しかも原告は他に農地を一町一反歩所有し専ら農業を営んでいるものであるところから、昭和二十三年四月一日附書面をもつて村農委に対し本件土地の買受申込をしたのである。

然るに当時村農委の委員であつた訴外根本好一、同宇佐美三郎、同小林保及び専任書記の根本正行らは、しばしば原告に対して本件土地を訴外塙豊実に売り渡すことを承諾してもらいたい旨強要し、原告が最後までこれを拒否していたにも拘わらず、遂に村農委は原告の買受申込を無視し自創法施行令第十八条に基き右土地につき何ら賃借権等いわゆる耕作権を有しない右塙豊実を売渡の相手方と定めて前記のような売渡計画を樹てたのである。結局本件売渡計画は村農委がこれを樹立するに当り、当時本件土地の耕作権者が原告であることを知り、若しくは調査をすれば容易に判明した筈であるのにその調査もせず、しかも原告から本件土地の買受申込がなされているに拘らずこれを無視して耕作権者でない塙豊実を売渡の相手方と定めたものであるから、重大且つ明白な瑕疵があり当然無効である。従つてこれに基き被告知事のなした本件売渡処分もまた当然無効というべきである。

よつて本件売渡処分無効確認を求める。

二、被告の答弁

(一) 原告主張の請求の原因(一)の事実はこれを認める。なお、売渡期日を昭和二十二年七月十四日としたのは本件土地が物納されたことにより同日その収納登記がなされたからである。

(二) 前同(二)の事実のうち昭和二十三年四月一日原告から村農委に対し本件土地について買受申込がされたこと、訴外塙豊実が従前から本件土地の耕作権者でなかつたことは認めるが、原告が訴外小野崎ひさから本件土地を賃借小作していたとの点及び本件売渡計画並に処分が無効であるとの点は争う。原告が本件土地について村農委に買受申込をした当時訴外塙豊実も村農委に同様の買受申込をなしたのである。而して本件土地は昭和十二年以来前所有者小野崎ひさから訴外内田喜代治に対し賃貸してあつたもので、本件土地が物納された当時の耕作権者も右内田喜代治であつたが、同人は本件土地の買受申込をしなかつたので、村農委は買受の意思がないものと認め、他の買受申込者中から訴外塙豊実を自作農として農業に精進する見込のあるものと認定して、同訴外人を売渡の相手方とし前記売渡計画を樹立したものである。

なお本件売渡計画樹立当時における右塙豊実の耕作反別は田合計一反一畝五歩畑七反八畝二十九歩であつた。

(三) 仮りに本件売渡計画樹立当時の耕作権者が原告であつたとしても、そのことは容易に判明し得る状態にはなかつたのであるから、原告を売渡の相手方とせず塙豊実を以て売渡の相手方としたことは明白な瑕疵ということはできない。

(四) 又仮りに原告と前所有者小野崎ひさとの間に本件土地について小作関係があつたとしても、原告は村農委に対して前記買受申込をした後売渡計画樹立前に村農委の委員である訴外河合力之助に対し右土地を塙豊実に売渡すことを承認したから、そのとき右買受の意思表示を撤回したものである。

よつて原告の本訴請求は理由がない。

三、被告の主張に対する原告の陳述

原告が本件土地についての買受の意思表示を撤回したとの点及びその他原告の主張に反する点は全部否認する。訴外河合力之助が、右土地を塙豊実に売り渡すことについて諒解を得るために原告方へきたことはない。

第三証拠方法<省略>

理由

原告主張の請求原因(一)の事実は当事者間に争がなく、又本件土地が自創法施行令第十二条第一項の決定のあつた農地であることは本件口頭弁論の全趣旨に徴し明らかである。そこで被告知事のなした本件売渡処分が無効であるかどうかについて判断する。

成立に争のない甲第一号証・原本の存在並に成立に争のない甲第四号証・証人石川晟、同樫村正、同根本正行、同樫村翠、同小野崎静(一部)の各証言に原告本人尋問の結果一部を総合すれば、本件土地はもと訴外内田喜代治が所有者小野崎ひさから賃借して耕作していたが昭和十四年頃耕作をやめたこと、そしてその後訴外小沢正已及び日高尋常高等小学校の生徒等が相次いで一時本件土地を耕作していたが昭和十七年頃からは耕作者なく荒地として放置されていたこと、原告は肩書地に居住し田畑合計一町歩以上を耕作し主として農業を営んでいた(昭和十七年頃からは農業のかたわら家畜商の仕事に従事し又農閑期等にはその所有する馬車で多少の運賃稼ぎ等もしていた)が、昭和十七年か同十九年頃偶々道路上で前記ひさの夫で、同人の財産を管理していた訴外小野崎静と出会つた際、右静から本件土地を耕作することを許諾され、爾来原告において引き続きこれを耕作して来たものであること、そして原告は昭和二十二年二月頃村農委に対し本件土地を小作している旨の旧農地調整法第十七条による申告書を提出し、これが供出を行つて来たことが認められる。原告は昭和十五年一月末頃小野崎ひさから本件土地を賃借し昭和二十三年まで右小野崎に対しその小作料として毎年玄米二俵ずつを支払つて来た旨主張し、原告本人尋問の結果中これに符合する供述部分があるけれども、右小作料支払の点については、証人小野崎静の証言(一部)と対比し信用できず、又甲第三号証は右静が作成したものであることが同証人の証言(一部)によつて認められ、これにも前記原告主張どおりの記載があるけれども、証人樫村翠及右小野崎証人(一部)の証言によれば、これまた右小作料の支払についての記載は事実に反するもので、昭和十五年以降毎年小作料の支払を受けていたという事実はなかつたことが認められる。さらに小作料の取り決め自体についても、小野崎証人の証言及び原告本人尋問の結果中原告主張に符合する部分があり、前記甲第三号証中にも同旨の記載があるけれども、証人樫村翠の証言によれば、小野崎方の小作台帳(貸付地につき小作人及び小作料の支払状況等を記載する帳簿)には本件土地の小作人は訴外内田喜代治となつていて、その後小作人の変動があり、原告に本件土地を貸しつけてあるということの記載がなく、従つて勿論小作料についての記載もないことが認められ(この認定に反する小野崎証人の証言部分は信用しない。)、右証人樫村翠の証言によつてその成立を認め得る乙第四号証及び同証人の証言と対照して考えると、果して原告主張のような小作料がはつきりと取りきめられていたかについても、かなり疑わしいものがあるように思われる。

しかしながら、前記認定事実によれば、原告は昭和十七年又は同十九年から本件土地が財産税の物納により政府の所有となつた昭和二十二年六月まで少くとも使用貸借によつて本件土地を耕作し、その後も引き続き耕作していたのであるから、自創法施行令第十七条第一項第三号により原告が本件土地につき第一順位の売渡の相手方となるべきところ、原告が昭和二十三年四月一日附書面をもつてその頃村農委に対し本件土地の買受申込をなしたことは当事者間に争がない。してみれば本件土地については右施行令第十八条所定の第二順位の売渡の相手方というものはないわけであるから、村農委が本件土地につき訴外塙豊実を売渡の相手方と定めて売渡計画を樹立し、被告知事がこれに基き右塙に本件土地を売渡したのは結局違法の処分というの外はない。しかしながら原本の存在並に成立に争のない乙第一号証と成立に争のない乙第三号証・前記証人樫村正、同根本正行及び証人塙豊実(一部)の各証言を総合すると、村農委が右塙を相手方と定めて本件売渡計画を樹立するに至つた事情は次のとおりであつたことが認められる。すなわち村農委としては本件売渡計画樹立当時原告から前示のとおり既に本件土地を小作している旨の申告がなされてあり、且つ原告が実際に本件土地を耕作していることを知つていた(前記甲第四号証の申告書には本件土地の所有者が「滑川ケン」であるように記載されているが、本件土地が物納された結果村農委には本件売渡計画樹立当時既に税務署からの右管理換に関する書類廻付により本件土地のもとの所有者が「滑川ケン」ではなく、訴外小野崎ひさであることが判つていた)が、右小野崎ひさからは旧農地調整法第十七条の申告がなされていなかつたので、当時村農委の専任書記であつた訴外根本正行が本件土地の小作関係調査のためその頃日立市滑川に居住していた右小野崎ひさ方を訪れ同人に本件土地の小作人を確めたところ、右ひさは前記小作台帳を出して来て調べた結果、本件土地は古くから訴外内田喜代治に貸したことになつているが現在は実際に誰が耕作しているのか判らない。又原告から本件土地を小作している旨村農委に申告がなされたとしてもそのようなことは判らない旨答え、結局当時原告が果して正当に所有者から本件土地を借り受けて耕作しているのかどうか不明であつたことと、当時原告の外に訴外塙豊実からも昭和二十三年四月八日附書面をもつて村農委に本件土地の買受申込がなされていたのであるが、同人は原告と同じくもとの日高村大字小木津に居住して馬一頭を所有しその妻及び両親と四人で田畑合計約九反歩を耕作し農業に専念していたけれども、右農地のうち畑約三畝歩を除きその余の田畑全部は在村地主から借り受けている小作地であつたため全く売渡を受け得られない実情にあるに較べ、原告は当時本件土地を除いても他に売渡を受けることのできる不在地主の田約二反歩余を小作していたので、右両者に対する売渡の均衡をも考慮した結果、訴外塙を自創法施行令第十八条第二号所定の自作農として農業に精進する見込のある者と認めて本件売渡計画を樹立するに至つたものであること、以上の事実が認められる。原告は村農委の委員や書記が原告に対し、本件土地を塙豊実に売り渡すことを承諾するよう強要し、原告が拒否したのに、敢えて塙を売渡の相手方として売渡計画を樹立した旨主張するけれども、村農委において原告を耕作権者と認めながら売渡計画前右のようなことを原告に要請したことを認めるに足る証拠はない。

以上の次第であつて、村農委が塙豊実を売渡の相手方として売渡計画を樹立し、被告知事が右計画に基き本件売渡処分をしたことは違法ではあるが、村農委としても一応の調査を行つたものであり、しかもなお前記のような事情により、売渡の相手方の選定を誤つたものであるから、右売渡計画従つて又本件売渡処分にはこれを当然無効とすべき程の明白な瑕疵あるものということはできないのである。

それ故本件売渡処分の無効確認を求める原告の本訴請求はその理由なきものとしてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第八十九条を適用して主文のとおり判決をする。(昭和三三年一月三〇日水戸地方裁判所判決)

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